昭和 7年 |
土崎小・旭北小で、貧困児童対象の弁当給食実施 |
昭和 9年 |
旧市内全小学校で副食給食を実施 |
昭和 16年 |
牛島小・築山小で玄米給食を実施 |
昭和 20年 |
終戦後、給食を一時中止 |
昭和 22年 |
旧市内全校に玄米乳給食、輸入缶詰等による副食給食を復活 |
昭和 26年 |
アメリカからの寄贈パンによる完全給食B型を実施(小学校16校中12校) |
昭和 29年 |
小学校16校で給食B~D型を実施(18,254人) |
昭和 30年 |
給食実施校の一部給食主任によって標準献立を作成 |
昭和 31年 |
給食実施校の校長によって、秋田市学校給食会を設立 |
昭和 32年 |
完全給食A型への移行開始 |
昭和 37年 |
下北手小・外旭川小の給食開始に伴い、各中学校に運搬する方式で完全給食を実施 |
昭和 38年 |
豊岩小・中も上記と同様に実施 |
昭和 41年 |
下新城小・太平小木曽石分校が、単独で完全給食を実施、小学校の完全給食100%達成 |
昭和 49年 |
県費栄養職員を4名配置 |
昭和 50年 |
秋田市学校給食会が山王の教員研修所に事務局を設置し、副食材料の共同購入を開始 |
昭和 52年 |
米飯給食3ケ年計画により、週1回の米飯給食を9校で実施 |
昭和 53年 |
財団法人秋田市学校給食会が認可 |
昭和 54年 |
秋田市学校給食研究協議会を独立結成 |
城東中の開校に伴い、本市中学校初の単独校調理方式による完全給食を実施 |
昭和 55年 |
完全給食実施校41校に、米飯給食を週1回実施 |
昭和 56年 |
完全給食実施校への米飯給食を、週2回実施 |
泉中の開校時と秋田西中の改築時に、単独校調理方式で完全給食を実施 |
昭和 57年 |
太平小・上新城小の改築時に共同調理場設置、各中学校へ運搬する方式で完全給食を実施 |
将軍野中の開校時に共同調理場を設置し、土崎中に運搬する方式で完全給食を実施 |
川尻小の改築時に共同調理場を設置し、山王中に運搬する方式で完全給食を実施 |
昭和 59年 |
桜小・御野場中の開校時に、それぞれ単独校調理方式で完全給食を実施 |
昭和 60年 |
秋田東中が単独校調理方式で完全給食を実施 |
昭和 61年 |
飯島南小の開校時に、単独校調理方式で完全給食を実施 |
昭和 62年 |
勝平中の開校時に、秋田西中からの運搬方式で完全給食を実施 |
昭和 63年 |
財団法人秋田市学校給食会の事務局を茨島・秋田市教育研究所内に移転 |
平成 元年 |
秋田南中が単独校調理方式で完全給食を実施、完全給食実施校の米飯給食を、週3回実施 |
平成 2年 |
寺内小の開校時に、単独校調理方式で完全給食を実施 |
平成 3年 |
御所野小の開校時に、上北手小からの運搬方式で完全給食を実施 |
飯島中の開校時に、単独校調理方式で完全給食を実施 |
平成 4年 |
城南中の改築時に、単独校調理方式で完全給食を実施 |
平成 6年 |
秋田北中の改築時に、単独校調理方式で完全給食を実施、小・中学校の完全給食100%達成 |
平成 8年 |
0-157による食中毒予防対策として、生野菜の使用を禁止 |
平成 9年 |
御所野小に調理場新設、単独校調理を開始 |
平成 10年 |
桜中の開校時に、城東中からの運搬方式で完全給食を実施 |
平成 11年 |
御所野学院中の開校時に、御所野小からの運搬方式で完全給食を実施 |
平成 14年 |
勝平小改築時に共同調理場を設置し、勝平中に運搬する方式を開始 |
平成 15年 |
BSE(狂牛病)予防対策として、牛肉は秋田県産に限定 |
平成 17年 |
秋田市と旧河辺町・雄和町が合併し、完全給食実施学校数が増加(1月) |
平成 23年 |
米飯給食を週4回実施 |
平成 25年 |
一般財団法人に移行 |